元シンガー、社会保険労務士で鳶の嫁。

元シンガー、現社会保険労務士&鳶の嫁。「経営者も社員も仕事と生活の充実が叶う組織づくり」をめざして、職場環境整備、能力開発支援、仕事と生活の両立支援、女性活躍支援など中小企業向け社外人事部しています。

手作りという呪縛

【平成家族】時短料理「手抜きでは」 家族7人分、毎日手作りする女性の胸の内「中華料理の素もアウト」(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

の記事を読んで、ふと思い出しました。

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仕事に夢中だった私が娘を出産した時に、母が言ったこと。

「言葉遣いには、気をつけなさい。」

「ご飯と味噌汁だけあれば、あとは出来合いでいいからね。」

という2つ。

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母は、ずっとフルタイムで働いていたけれど、朝も夜も食卓にはすべて手作りの料理が並べられて、レトルトもインスタントもファストフードも「悪」でした。

だから、当時の私にとって、母に隠れて食べる「UFO」はごちそうでもあり、とんでもない悪事のひとつでもあり。

けど、食べた後の空き容器は、家のごみ箱ではなく、近くの公園のごみ箱まで捨てに行ったのだから、母の「手作り信仰ぶり」は、なかなか徹底していたんだろうな。

だけど、仕事から帰って、1分1秒でも早く料理を並べたい母の背中ごしに、話し掛けることを躊躇していた幼き日の感情は、ちょっと寂しい思い出だったりもします。

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そんな母からの「出来合い」推し発言は衝撃的でした。

同時に、当時の母の姿は「仕事と家庭の両立」に対する意地であり、精一杯の抵抗だったのかな、

と、同じ立場となった今、思うのです。

いや、同じ立場ではないな。

昭和のワーキングマザーは、職場以外のあらゆる敵と戦ってきたのでしょう。

女性活躍やら、ワークライフバランスやら、多様な働き方やらが、女性ファッション誌で取り上げられるような今とは勝手が違います。

母として、妻として、嫁として。
一番の敵は、「こうあるべき」に囚われた自分自身だったかもしれません。

なんなら、平成のワーキングマザーである私ですら、昭和の母の面影をいまだ引きずっているぐらいなので。

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ただ、自分がその立場になって思うことは、料理ほどクリエイティブさが刺激され、タイムアタック的達成感がある作業は、あまりお目に掛かれないということ。

週末に買った食材が木曜には順調になくなっていて、わずかに残った「あれ」と「これ」に冷凍庫のジップロックのお肉を足せば、それなりに金曜日の食卓が仕上がるな。

と、保育園のお迎えの道すがらに想像した上で、実際に想定時間内で夕飯が仕上がる時は、テトリスのブロックが連チャンではまっていく時みたいにゾクゾクします。

独身の頃は、お腹を満たすだけの投げやりなご飯でよかったけれど、家族ができてからは星形の金型を買ったり、ぬか床を試してみたり、栄養のバランスをあれこれ考えたりするのも楽しいひとときだったり。

料理には、潜在的なホスピタリティを引き出す効果もありました。

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私が知る限り、仕事以外に趣味らしいものがない母だったから、料理が息抜きの時間だったかもしれないな。

とも思ったりもします。

そして、大人になった今。

基本調味料「さ・し・す・せ・そ」を多少値が張っても吟味するようになったのは、子どもの頃にまともな食事をさせてくれていたおかげかなと思うのです。